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オランダのお妃の涙の訳とは:

「ロスト・タブレット」続編/最終章 特番3

Tango-Piazzolla - Boda Real, Maxima Zorreguieta.mpg

2002年2月オランダ皇太子ウィレム・アレクサンダー(現国王)ご成婚時の一シーン。

ピアソラの曲「アディオス・ノニノ(さようなら父よ)」に誘われて涙するお妃 YouTube

どこの国の皇室でも、今ではお妃が平民であっても驚かない。オランダの現国王が皇太子時代の2002年、お妃に迎えたのがブエノス・アイレス/アルゼンチン生まれの投資銀行員だった。米国に留学し、そのままニューヨークで銀行勤めのある時セビーリャ/スペインで休暇中に皇太子と知り合うことに。 だが二人の交際が公になるにつれて、オランダ国内では大論争となり、議会も猛反発。なぜならお妃となるマキシマには大きな問題を抱えていたのだった。

彼女の実の父親はかつて1982年マルビーナス(フォークランド)紛争時のアルゼンチン独裁軍事政権ビデラ将軍時代の農業畜産大臣、ホルヘ・ソレギエタだったからたまらない。軍人ではないと言え、恐怖時代の閣僚だった父親を持つ娘との結婚にはさしものオランダ議会も猛反発。「汚い戦争の手先の娘が王妃となるなんて」と。だがベアトリックス女王の過去が幸いして(女王の夫、王配が若い頃「ヒトラー・ユーゲント」だったドイツ人)なんとかお許しを得るも、婚礼には父親の参列は絶対に認められなかったのだった。母親も参列していない。てっきり王室に嫁ぐ重圧と同じアルゼンチンの音楽家ピアソラ作曲の父親との別れの曲「アディオス・ノニノ(さようなら父よ)」に誘われての涙と思いきやそこにはもっと深い訳が有ったのだった。

特番2は André Rieu - Adiós Nonino (Farewell father)

ウィレム・アレクサンダー皇太子がベアトリクス女王の生前退位によって王位継承した2013年、マーストリヒト/オランダでのアンドレ・リュウの歳末コンサートの模様だ。(世界で活躍するオランダが誇るポピュラー・クラシック音楽の巨匠。ヨハン・シュトラウス・オーケストラを結成。マーストリヒト出身) ここでもピアソラが涙を誘っている。

特番1はピアソラ自身の演奏。お見逃しなく。


種明かし

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